結婚するくらいなら旅行する

同級生の第二次結婚・出産ラッシュに抗いながら一人旅

ジャージャー麵と論語

テルに戻ってベッドでゴロゴロしながら「ご飯何食べようかな~」と考えていました。

 

Google Tripsを参考にしよう!と思って開くと「ジャージャー麺」の文字が。

なんだか急にジャージャー麺が食べたくなってきました。

 

早速調べると、日本人が「ここのジャージャー麺は美味しい!」と書いてある店を発見。

どれどれ、と見てみると、天壇の近くでした。

「さっきいたところじゃん…。戻る気力ないよ…」と凹みました。

 

「もういいや。近くでジャージャー麺探そう」とホテルを出発。

とりあえず一件目のレストラン。

暇そうに座っているおばさんに、無言で「炸醤麺」と書かれたページだけを見せました。

首を横に振られたので、外に出て、隣の食堂。

「あるよ」とのこと。これでしょ?と指を指された写真付きメニューは確かにジャージャー麺

注文して出てくるのを待ちます。

山西刀削面というこの店、麺専門店っぽいのですが、店内の薄暗さと良い、客の少なさ(私だけ)と良い、超ローカルな感じが良かったです。

 

待っている間に大学時代に読まされた「論語」を読み直すことに。

“The Master said, ‘Guide them by edicts, keep them in line with punishments, and the common people will stay out of trouble but will have no sense of shame. Guide them by virtue, keep them in line with the rites, and they will, besides having a sense of shame, reform themselves.”という部分が中国の人と関わってきた2日間を振り返ってググッときました。

中国で孔子孟子を勉強してからずーっと思っていたことですが、なぜこんなに素晴らしい学者を輩出している国が、ここまでマナーのなっていない国民になってしまうのか。

すごく不思議だったのですが、何だかこの言葉で分かったような気がします。

では日本は?と考えてみると、一般的に日本人のマナーが良いと言われる風潮は、ひとえにこの”sense of shame”に拠っているのではないかと思いました。

逆に言ってしまえば、どうでもいいところでも「他人がどう思うか」ばっかりを考えている日本人。でもそれって、本当に人間として正しいことなのか?と、孔子に問いたくなりました。

 

そんなことを考えている間にジャージャー麺が登場。

 

店内の薄暗さと相まって、まったくおいしそうに見えません。

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食べてみたけど、やっぱりおいしくなかったです。

麺自体は美味しいけれど、ラードかな?油が強すぎて、私にはキツかったです。

コーラで腹を満腹にしようと思ってコーラを注文。ここでもコーラが通じるまでにかなり苦労しました。

冷蔵庫から出されたコーラはなぜか常温で、「ここは電力供給に限界がある店なのかな?」と思いました。

 

引き続き「論語」を読みながら食べていると、カチッカチッと、ライターを付ける音が。

顔を上げると店主がこちらを伺いながら煙草を吸っていました。

自由だなぁ。

 

コーラと合わせて33元。

天津と比べると、やっぱり物価は高めです。

 

油とコーラでタプタプになった腹を抱えてホテルに戻りました。